2010/12/1訪問
京阪電車淀駅の京都方面行きホームから、手の届きそうなところに見える立派な石垣。それが淀城の本丸、天守台の石垣です。競馬ファンにはおなじみかもしれません。
現在公園として整備されているところが本丸の跡で、北側の住宅地に二の丸や三の丸がありました。現在の地図を見ると、道路の形状に当時の縄張りの面影が遺っています。
駅の自転車置き場となっている本丸の東側を掻き分けて天守台に登ってみます。天守台は二段になっていて、一段目は登れますが、内側の二段目は立入禁止になっています。鉄柵の隙間から中を覗くと、穴蔵式の天守が建っていたであろうことがわかります。
二段目の天守台を作る石垣の中に刻印のあるものを見つけました。丸に十字や四角形などがありました。
天守台を後にして、本丸の石垣上をぐるりと巡ってみます。南辺の上部には三等三角点があります。この地点の標高は17.53メートルだそうです。
本丸北西隅には櫓台が遺っています。現在櫓台の上には「明治天皇御駐蹕之址」という石碑が立っています。慶応4年の大坂行幸の際に立ち寄ったそうです。
石垣から下りて公園の中央付近に来ると、何やら怪しい黒服の人を発見しました。熱心に天守台の写真を撮っています。淀駅の移転に伴なって、公園を拡張整備する計画があるらしく、おそらくその視察に来た役所の方ではないかと思いますが、実は裏の世界でとんでもない計画が持ち上がっている……なんてことはないでしょうね。
駅の自転車置き場から稲葉神社に向かうところに、小さな段差があります。最初は全然目に止めていなかったのですが、ひょっとすると本丸と二の丸の間に設けられた段差なのではないでしょうか。
公園から離れ、府道のほうに来ると、「淀川瀬水車舊趾」の石碑がありました。現地の案内板に載っていた当時の地図に淀川の川辺に水車の絵が描かれていますが、そのうちの片方(上流のほう)と位置的にぴったりです。計画されている公園の拡張整備では水車も復元される予定らしく、直径9間(約16メートル)ともいわれる水車がどんなふうに復元されるのか、楽しみです。
現在淀駅の移転工事の真っ最中ですが、工事が完了して駅のホームから石垣が見られなくなると思うと、少々寂しくもあります。
(前)
淀城
元和9(1623)年閏8月、二代将軍秀忠から淀入封を命ぜられた松平定綱が、廃城となった伏見城に代わる京都守護の拠点として築いた。当初伏見城の天守を移築する予定だったのが、二条城の旧天守の移築となり、そのために空いた天守台のスペースには、伏見城や姫路城などから櫓が寄せ集めの形で移築され、寛永2(1625)年には城郭がほぼ完成した。城の北側と西側には揚水用の水車があり、淀城の名物となっていた。松平氏から、永井、石川、戸田、松平と城主が代わり、享保8(1723)年に稲葉正知が入ってからは、幕末まで稲葉氏が城主をつとめた。慶応4(1868)年の鳥羽・伏見の戦いでは、敗走する幕府軍の入場を拒否し、官軍の勝利に一役買った。
- 所在地
- 京都府京都市伏見区淀本町
- 城郭構造
- 平城