2010/11/17訪問

奈良県は筒井に、筒井順慶ゆかりの筒井城を求めてやって来ました!
近鉄筒井駅を出たらすぐ案内板を発見。

距離感は分かりませんが位置は把握できます。
まずは南・東側の外堀(推定)に行ってみました。
国道25号線を東に向かったので北側に見えるだろうと思ったのですが、それらしきものは見あたらず。
交差点で県道に入ると本門寺を発見。

案内板と実際に歩いてみた距離を照らし合わせた結果、どうやら外堀(推定)は現在農業用水路のようです…。

本門寺近辺の外堀を北から 本門寺近辺の外堀を南から

外堀(推定)を発見したので次は内堀。
筒井順慶公の碑が建っている八幡神社を抜け、専念寺を通ると堀を発見!

菅田比売神社東南

菅田比売神社に沿うようにして通っている内堀北側。

内堀北側を東から

……水路ですね。
境内には土塁跡らしきものもありました。

菅田比売神社境内

内堀近辺をぐるぐる回って地元の方に筒井城跡のことを教えていただき、やっと到着。

原っぱでした!
城跡は大和郡山市管理地のためフェンスで囲ってあり、立ち入りは出来ません。
掲示板には筒井城に関連するチラシなどが貼ってありました。
それによると筒井城跡の正確な範囲や遺構の状態を知るため、平成13年から学術調査を実施しているようです。今は全体的に「推定」の域を出ないけれど、「確定」される日が来るかもしれません。

(久)

筒井城
古くから興福寺に出仕し、宗徒の役割を果たしていた筒井氏の居城。
応仁の乱、戦国時代を通じて何度か筒井城をめぐる攻城戦が行われ、その史料も豊富に残されている。
1580年(天正8)織田信長の「大和一国破城命令」により、大和国では郡山城のみをのこして他すべての城郭を破却。筒井城は土塁を築き、堀をめぐらせた平城で、近代的な縄張りには不適切であった。
所在地
奈良県大和郡山市筒井町
築城
1429年(永享元年)以前
文献上の初見が『満済准后日記』大和永享の乱
廃城
1580年(天正8年)8月17日「大和一国破城命令」
城郭構造
平城(遺構は水堀として残る)
関係する城
多聞城、郡山城
資料
『戦国合戦大辞典 4』戦国合戦史研究会/新人物往来社/1989
『日本城郭大系 10巻』児玉幸多・坪井清足監修/新人物往来社/1980
HPなど
大和郡山市
http://www.city.yamatokoriyama.nara.jp/