2010/12/1訪問

小綺麗、という言葉がぴったりな感じの、勝竜寺城公園にやってきました。

堀や模擬櫓などがきれいに整備され、地元の人にとっての憩いの場としては申し分のない公園で、日本の歴史公園100選(100選なのに250ヶ所も選定されている)や、甦る水100選に選ばれています。この日も、何組かの親子連れが公園内でのんびりしていました。

本丸東側の堀 本丸管理棟模擬櫓

模擬隅櫓は中にベンチがあるだけの簡素なものでしたが、本丸周囲の土塁などは、発掘調査に基いてきちんと復元されているようです。

復元された土塁と多聞櫓 土塁上から見た隅櫓 北門跡

本丸の西側には堂々とした土塁が遺っていて、往時の面影が偲ばれます。その西側には沼田丸と呼ばれる郭があり、この北辺と東辺を区切る堀の跡がわずかに遺っていました。井戸跡とされるところには、地下水100%の水道があり、水を汲みにくる人が次から次へと訪れていました。

沼田丸から見た本丸西側の土塁 沼田丸北辺の堀跡
沼田丸全景

堀には鯉やアヒルがいて、公園内にはなぜかクジャクがいます。

堀にはアヒルと錦鯉が クジャク 北東隅櫓

櫓を模した公園管理棟の中は休憩所兼資料館になっていて、自由に見学できます。そこにあった当時の縄張図がわかりやすいです。この公園のところから、北にある現在の神足神社のあたりまでが城域だったようです。

現地の縄張図

全体に小綺麗に整備しすぎな感じがしますが、それは「城」を求めているからそう感じるのでしょう。公園としては素敵な公園です。

(前)

勝竜寺城
康生3(1457)年頃、畠山義就が乙訓郡の郡代役所として築城し、応仁の乱を経て城郭に発展していった。戦国末期には松永久秀や三好三人衆が支配したが、永禄11(1568)年、織田信長によって落城(勝竜寺城の戦い)させられると、細川藤孝に与えられた。明智光秀の娘お玉(ガラシャ)が細川忠興に嫁いだ城として知られる。天正9(1581)年、細川藤孝が丹後に入封すると、代わって京都所司代村井貞勝の家臣である矢部善七郎、猪子兵助が入るが、翌年の本能寺の変により、明智光秀の支配下に移り、さらに同年、山崎の戦いで落城すると、以後荒廃していった。平成4(1992)年、本丸と沼田丸の趾が公園として整備された。
所在地
京都府長岡京市勝竜寺
城郭構造
平城