2010/11/24訪問
亀山城は、明智光秀が丹波攻略の拠点として天正5(1577)年に築城した平山城です。JR亀岡駅の南口を出ると見える小高い森が亀山城です。
城趾は現在、宗教法人「大本」の所有となっているので、見学には許可が必要です。受付で申し出ればすんなりOKが出ます。本殿で軽くお祓いを受け、いざ本丸へ。
門のあたりを掃除していた信徒の方に軽く会釈をして通り抜けると、いきなり立派な石垣が聳えているのが目に入ります。この石垣は、大本事件の際に破壊されたのを後に積み直したものだそうで、往時のままなのは下三段ほどだけだそうです。とはいえ破壊された石垣を地道に修復した信徒さんたちの苦労には頭が下がります。
天守台の上は禁足地となっているため、立ち入ることができません。今治城から移築したとされる五層五階の層塔型天守を石垣の下から想像しましょう。
本丸の隅には破却前から存在していたという井戸跡がありました。また、西の丸は宗教施設があるため、こちらも立入禁止となっています。
本丸を後にして二の丸にある本殿前の広場に戻ってきました。きれいに掃き清められたイチョウの落葉が目に染みます。ここから南の方向を見ると細長い池があります。これはかつての内堀の跡です。
また東側の三の丸との間にある通路も内堀の跡です。その通路の南端のほうには、天下普請の際に描かれた刻印のある石が残っています。四角と卍、どこの大名家のものなのでしょうか。
本丸北側にある花明山植物園にもお邪魔しました。植物園の入口にて別途受付を済ませます。季節的に花いっぱいというわけにはいきませんが、こちらから天守台を見上げると、地山の上に石垣が積まれているのがわかります。植物園の奥にあった腰かけ用の石には、矢穴の跡が残っていました。破壊されたあとの修復時に余った石垣なのでしょう。
訪れたのが11月下旬だったので、何はともあれ紅葉がきれいでした。宗教施設の中ということもあってか人も少なく、穴場といえるんじゃないでしょうか。春には桜もきれいだそうですよ!
(前)
亀山城
天正5(1577)年、明智光秀が築城。本能寺の変により豊臣家の支配下となり、関ヶ原の戦いを経て徳川家の支配下に移る。慶長14(1609)年、徳川譜代大名の岡部長盛が入封すると、翌年には天下普請により大改築が行われ、今治城より天守が移築された。その後、松平、菅沼、松平、久世、井上、青山、松平と城主が入れ替わり、明治維新を経て、明治6(1873)年に廃城が決まる。荒廃する中、大正8(1919)年に宗教法人大本が土地を買い取り聖地として整備を続けるも、昭和10(1935)年に起きた大本事件により破壊され、戦後の再修復と整備を経て今日に至る。
- 所在地
- 京都府亀岡市古世町北古世
- 城郭構造
- 平山城