2011/01/05訪問

広島城にやってきました。

平櫓(南西から) 全体図

まずは平櫓と全体図。 見れば分かりますが、ぐるっと水堀に囲まれています。城の位置は太田川河口のデルタに位置しており、太田川の水を循環させるような仕組みです。

全体図(銅板)

やや見にくいですが、本丸は水堀に囲まれた構造になっているのです。

ちょっと順番が前後しますが、二の丸から本丸へ続く橋をパノラマで。

二の丸から本丸(パノラマ)

橋の真ん中から水堀を撮ったもの(西、東)

水堀(橋から) 水堀(橋から)

橋の下も水路が繋がっているのが分かるでしょうか?

それでは表御門から行ってみましょう。

表御門(正面(御門橋)から) 表御門(二の丸方面から)

平成三年に修復されているので綺麗です。 約三百五十年間存続していましたが、原爆投下によって焼失しています。広島城は原爆ドームから1km以内に位置しているので、地上に現存しているのは石垣や水堀のみです。 どこに行ってもそうですが、戦争などの人的被害で文化財がなくなるのはもの悲しいですね…。

二の丸の番所跡と、馬屋跡。

番所跡 馬屋跡

二の丸は天正期末(十六世紀末)に作られているため、本来は「馬出」として機能していましたが、戦がなくなった江戸時代後期には違う施設として利用されています。

本丸へと続く橋は前述したので省略します。 本丸に入り、護国神社へ続く道から見える石垣。

石垣を本丸から 中国軍管区司令部の地下通信室跡

右側の写真は中国軍管区司令部の地下通信室跡で、コンクリートで補強されています。が、それも途中から吹き飛んでいます。 原因は原爆の衝撃破です。 ちなみにコンクリートが残っている高さは、反対側に石垣があるところまで。石垣がどれほどの強度を持っているかが分かります。 木の生えている位置で高さが分かるのではないでしょうか。

本丸内にあった広島大本営の建物は土台を残して倒壊しているので、現代兵器の破壊力にも耐えうる強度を持つ石垣の技術はすごいですね。

広島大本営跡

本丸上段に進めば天守閣が見えてきました。

天守 礎石

現在の天守閣は昭和三十三年に再建されたもので、天守閣跡に建てられています。 元々あった天守閣の礎石は地下に埋もれていますが、すぐ近くに礎石の位置をそのまま再現した石が置いてあります。 天正期末にできたものなので居住性は考慮されておらず、あまり大きくありません。

公園俯瞰

広島城の展望台から。 本丸内は公園化されているので、構造には建築当時の面影はまったくありません。 あと公園内に木がたくさん植えられているのは、原爆による放射能汚染対策のための緑化の影響もあるのではないでしょうか。

歴史のある城ですが、やはり戦国・江戸時代よりも太平洋戦争の傷跡の方が目を引きます。 遠い過去に想いを馳せるのもいいけれど、ここではそれは難しいことのように思います。

(久)

広島城
天正末期、毛利輝元が中国地方一帯を収めるための拠点として築城した。縄張りは聚楽第を模範とし、城の構造は大坂城を参考とした大規模なものであった。だが落成の翌年、関ヶ原の戦いで敗北した輝元は移封された。
次の城主は福島正則だが、幕府に無届けで改築を行い改易され、浅野氏が入城した。
所在地
広島県広島市中区基町
築城
1589(天正17)年
廃城
1874(明治7)年
城郭構造
輪郭式平城
web
広島城HP
http://www.rijo-castle.jp/
広島WEB博物館
http://www.mogurin.or.jp/