2010/9/13訪問

本日は大阪府河内長野市の烏帽子形城にやってきました。
烏帽子形城は現在史跡公園として整備されていますが、城郭の構造を利用しているので堀や土塁がよく残っています。

城郭全体図

城郭のみの図では分かりにくいですが公園の地形そのままです。

地図上左下の堀切から登っていきます。

舗装路

すごい傾斜です。さすが山道。

整備されている道の側に堀切跡。

西側堀切跡

少しへこんでいるのが分かるでしょうか?

南側横堀入り口 南側横堀入り口(スケール入り)

南側の横堀入り口です。
奥の傾斜の上が腰曲輪ですね。
整備されている公園なので、所々に案内の杭・張り紙(人物の左右)があります。

南側横堀(西から東)

スケール(人物)は約150cmです。
地形がそのまま残っているのが分かります。

腰曲輪へ続く舗装路。
城郭図によると虎口です。

虎口

腰曲輪の様子をパノラマで

腰曲輪 腰曲輪

不自然なほど平らにならしてあります。
どれだけの労力がかかっているんでしょうね…。

主郭から腰曲輪を俯瞰。

主郭から腰曲輪

木々で隠れていますが、真ん中に辺りにスケール(人物)がいるのが分かるでしょうか。
頭上から物を投擲しやすいですね。

主郭。
説明板や石碑があります。

主郭

主郭の北側から西側に抜ける道がありました。

主郭北側の小道

高低差がよく分かるのではないでしょうか。

一番西側の堀切近くの切岸。
今は竹が生えています。

切岸 切岸

凄い傾斜です。
登るのに一苦労しそうです。

城郭の構造がそのまま残っているので、地形の高低差が元はなんだったのかを考えながら歩いたらとても面白かったです。

(久)

烏帽子形城
1332(正慶元)年に楠木正成が赤坂城の出城として築城したと伝えられている。
山の中腹平坦部は西から北にかけての眺望に優れており、そこには頭頂部を削った直径20メートル、高3メートルを計測する円墳一基があり、古墳を利用して城が作られた。
戦国時代には烏帽子形城が南河内のキリシタンの拠点になっており、1584(天正12)年の小牧・長久手の戦いで豊臣秀吉が改修を命じている。元和の頃には廃城になった。
所在地
大阪府河内長野市喜多町
築城
1332(正慶元(南北朝))年
考古学では南北朝時代から、文献での初見は1524(大永4)年
廃城
1615(元和元)年
城郭構造
山城
関係する城
楠公十七支城(千早城、上赤阪城、下赤坂城、龍泉寺城、金胎寺城、等)
web
河内長野の歴史遺産
http://www.city.kawachinagano.lg.jp/static/kakuka/kyousha/history-hp/