2010/9/21訪問

三好山にあったという芥川山城跡にやってきました。
山道口に看板が立っています。

農道入り口 看板

往復で八十分。結構な運動になりそうです。
農道を抜ければ右手に石垣が見えてきました。

石垣 石垣

石垣の前は平らにならされており、土塁もありました。
更に行きましょう。

土橋

土橋です。
横に広がれないので一列になるしかありません。

虎口

虎口です。
道が切り立った崖に挟まれているので、土橋と同じように一列になるしかありません。
こんな状態だと矢などのいい標的ですね。

石碑

堀切に石碑が建ってます。

堀切 堀切

堀切の斜面です。
傾斜が急で竹林になっていました。

途中、曲輪を発見。

曲輪

更に山道を登ります。

山道 山道

山頂(主郭)まであと六分です。

看板

山頂(主郭)に着きました!

石碑

何もありません。
平らにならされているのが名残でしょう。

復路で井戸跡を発見。

井戸跡 井戸跡

水は湧いていませんでした。

城郭の構造を気にせず山頂(主郭)まで歩いたら軽いトレッキングで終わりますが、一つ一つに注目しながら歩けば一労働です。

(久)

芥川山城
芥川山城が最も繁栄したのは細川晴元が入城し、城主となった時代である。以前の城主であった能勢氏の頃より新しい曲輪が増設され、防御施設が拡張されていったと思われる。
1571年(元亀2)、高槻城主・和田惟政が白井河原の戦いで討ち取られると、芥川山城主であった高山友照は1573年に惟政の息子惟長を追放し、高槻城主となった。
所在地
大阪府高槻市原
築城
鎌倉後期
文献上の初見が『瓦林正頼記』1520(永正7)年10月
廃城
1571(元亀2)年
城郭構造
連郭式山城
関係する城
飯盛山城、高槻城
資料
『日本城郭大系 12巻』児玉幸多・坪井清足監修/新人物往来社/1981
『芥川山城跡』しろあと歴史館/高槻市/
HPなど
高槻市
http://www.city.takatsuki.osaka.jp/